送別会

明治庵ブログ2018年12月30日

12月28日 当店の料理長と調理主任2名の送別会を明治庵ときっちんやど本舗と合同でディオセレッソにて行いました。

総料理長の小林さんにも顔を出していただき、挨拶頂きました。美味しい数々の調理、有難うございました。

料理長とは約36年来の付き合いが有り、この度 還暦を機に生まれ故郷の西表島に帰る事になりました。 私が21~2歳の頃大阪のお店で修業したころの兄弟子です。

大阪では、仕事に遊びに中身の濃い時間を彼と過ごしました。親方率いるチームで総上がり(調理場全員で退職)をして、京都のお店に入込み(入店)したり、寮も8畳間とキッチン・トイレ・風呂しかない部屋で5人で生活していました。押入れの戸を外して、そこに布団を敷いて、頭半分入れて、寝ていました。しんどかったけど、楽しかった思い出ばかりです。

それから、私は田舎に帰り、お店を始めました。    平成7年の阪神淡路大震災の時、彼は神戸で命からがら助かりました。しかし、勤めていたお店が崩壊してしまいました。

そして、取りあえず遊んでいられないので、明治庵に来てもらいました。一年程して、大阪で仕事が見つかったので、また、関西に帰りました。

調理主任も私が、大阪での修業時代に親方の運転手をしていた頃、よく親方の知り合いの店に連れて行ってもらった時、そこで見習いをしていた人です。  そして、彼もまた震災の被災者でも有ります。

明治庵が夏の忙しい時期に助っ人として一か月くらい来てもらいました。

平成23年、これもまた、東北大震災の年にきっちんやど本舗をオープンするときに料理長として来てもらいました。調理主任は、オープンから2年後くらいに来てもらいました。 

それから、一生懸命、きっちんやど本舗で頑張ってもらいました。

昨年、明治庵で色々あり、きっちんやど本舗に居た料理長と主任を明治庵に来てもらい、きっちんやど本舗に仕出しするという形にしました。

ようやくその形にスタッフ一同慣れてきました。

そして、新たなる旅立ちという事になりました。2年程前から、社員全員に将来、3年後・5年後・10年後、どうしたいのか?・どうなっていたいのか?という事を聞きました。       その時に還暦を境に生まれ故郷の西表島に帰りたい。とのことでした。主任も、体の動くうちに、神戸の家の近くから通えるところで仕事をしたい。との事でした。

今まで、第二の人生を見据えながら、勤めて頂きました。でも、過ぎてしまえば、あっという間で、短かったなぁと思います。

彼らには、本当に助けてもらい感謝しています。第二の人生まだまだ、働ける年です。技術も有ります。しっかりと、この技術を活かして頑張って頂きたいと思います。残った我々も、彼らの穴を埋めるべく一生懸命、仕事をこなしていきたいと思います。

落ち着いたら、皆で西表島に行きたいと思います。約束しました。

今まで本当に有難うございました。 二人の門出に幸多かれ!、そして、我々社員・スタッフにもにも幸多かれ!。バンザーーーイ!。